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2007年11月17日 (土)

16歳の龍平さん椅子ぶん投げ事件

のころのお話ではないでしょうか。

朝日新聞に掲載されたインタビューです。

二度とない貴重な時代と知ってる(松田龍平さん)・・・2000年4月8日朝日新聞
 ぼくは勉強がとっても苦手なサッカー少年でした。
 小学校時代は攻撃側でしたが、中学になるとゴールキーパーが好きになって。キーパーは試合全体を客観的に見られるし、すべてのボールを止めれば勝てるんですよ。弱い相手だとヒマで「もっと攻めてこい!」と相手に叫んでいるのに、強いチームになるとシュートの雨あられ。勘弁してよと言いたくなりますね(笑)。
 学校のサッカー部に入らず横河電機のユースクラブに入ったんですが、みんなプロをめざそうというやつばかり。練習も無茶苦茶ハードで、小学時代の楽しいサッカーが甘かった。自分の力も知ったし、中ニで学校のサッカー部に入りました。弱いはずだと思うくらいラクで楽しいサッカーでした。
 中三になって大島渚監督の映画『御法度』に出ることになって、まったくの素人のぼくはかえって妙な重荷もなく、中学生の気分のまま撮影を続けました。松田優作の息子という部分もあんまり気になりませんでした。
 父がいたときは、とてもコワイ存在で。いつも緊張していたと思います。特にぼくと弟に対しては、小さくても男として見ていたようでビシッと一本厳しく、妹には優しかったですね。
 父が亡くなって、母が父の役までやっていたから、長男のぼくは母を助けなければという気持が強かったですね。でも、その優等生ぶりが自分自身でも重荷だったのか、何かのきっかけで母にすごく反発したことがあったんですよ。その時母は怒るよりも「私はもう何も言わないから」と言ってくれて、その時、「そうか、もっと自由に自分を出してもいいんだ」と思いました。でもさすがに成績があんまり悪いとやっぱり怒られましたけどね(笑)。
 高校は都内の私立校です。最初は一般コースだったけど、『御法度』に出てから芸能コースに変わりました。男は七人だけであと十数人は女の子。いろんなのがいますよ。みんなタレントをめざしてるけど、ジャニーズもいるし、歌舞伎、狂言、ローラープレイとか。いま注目の中村七之助も同級生。やっぱり有名になりたいなぁとか、いろんな話をしています。
 運ですか? 大きな仕事をもらうことができたのは完ぺきに運ですが、そのチャンスを生かすのは自分だと思っています。自分に力と才能がなければ運もストップする。もっと力が欲しいと痛感しています。これからどれだけ実力を蓄えられるか。それが勝負だと思います。
 勉強は体育と英語が好きですが、あとは全然ダメ。語学は興味があるし将来は留学したいと思っているんですよ。
 ぼくはまだ高校生ですが、高校時代はつまんない。進歩がない時代だと思うときもいっぱいあります。でも、みんなそういう道を通って大人になっている。ぼくもぼくの周囲の友達も口では「つまんない、退屈だ」と言っているけれど、それはただ毎日、甘えられる環境の中に浸っているだけ。心の中では二度と戻ってこない貴重な時代を生きているんだという気持は強いんです。
 『御法度』では共演させていただいたみなさん、みんな本当にプロ。カッコよくてあこがれたくなりました。カッコいい大人がいっぱいいることを知った。それが大きな収穫でしたね。

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