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2007年6月

2007年6月14日 (木)

松田龍平さんファミリー

今日、弟君の翔太さんがある番組に出られましたが、

松田兄弟のアイドル的存在の妹さんって…

みんな興味津々ですよね。

2年位前に美由紀さんが波乱万丈に登場されたときのログです。

気になる方はご覧ください。

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いつみても波乱万丈(抜粋) 2005年11月某日

【龍平くん誕生】

籍も入れずに二人は暮らし始めたそのころ、優作はテレビに幼い子どもが出ているのを見ると離婚して離れ離れになったわが子のことを思い出し、時折涙していたという。そんな姿を見るたび美由紀は思った「早くこの人の子どもを産んであげたい」。

そして昭和58年。
美由紀は長男龍平を出産。
(生まれて間もない龍平くんと美由紀さんの記念写真。お宮参り衣装の龍平くん)

さすがの優作もこのときばかりは笑みがこぼれた。

優作
「いやーいきなり、入ったらウンチしやがって…。失礼なヤツだなぁと」(微笑む優作さんの笑顔がまぶしい)

「すっきりした顔して」

-じゃあ今日は目が開いてるところをご対面できたわけですね。

「はい、見ました」

-どうでしたか。

「(ちょっと間をあけて) なかなか、いい男みたいですね」

-ああ、そうですか!(と報道陣もどっと沸く。)

どのへんがいい男だったですかとかの質問に「いやー(もうこれ以上は)」と照れ隠しする優作さん。

これを機に二人は晴れて入籍。


【龍平くんの幼少期】

それまではストイックに芝居にのめりこみ、家庭とはどこか一線を画していた優作。そこには複雑な生い立ちを背負うかのような孤独感があった。

「心の傷をなんとか癒してあげたい」

美由紀は温かい家庭をつくるべく昭和60年には次男翔太をその二年後には長女夕姫(ゆうき)を出産。
(幼い三人の写真。三人とも笑顔でカワイイ)

強持てだった優作は子どもたちにとっても厳しい父親。

だが、美由紀が一緒になって子どもを叱りつけると、

「おまえは怒っちゃいけない。優しくししてやるのがおまえの役割なんだ」とあとで諭されることも。
(おもちゃの車に乗った龍平くんと優作さんの写真。龍平くんはヘルメットをかぶってべそをかいてる。)

~中略~

【優作さんの死】

(葬儀の映像。龍平くん、翔太くん、夕姫ちゃんが映る。)
美由紀さんは優作さんの病気を最後まで知らなかったそうです。
優作さんが知らせなかったそうで(人を寄せ付けなかったとか)、美由紀さん自身27歳と若くて周りに病気の人がいなかったので本当に分からなかったそうです。「子どもだった」とコメント。

間平さんが「もしブラックレインに出ずに治療してたら、どうだったでしょう」との問いに「そういうことはもう百万回考えましたし、もう考えないことにしました」と。当時のことを考えると今でもきついそうです。

福富
「さて。でもそのそのあとが大変でした。美由紀さん、小さなお子さん三人残ってしまったんですよね」

松田優作亡き後、美由紀はその悲しみを引きずり続けていた。

一周忌法要にて

美由紀
「長い一年でした。生きてるとき以上によく話をしていると思います」

(龍平くん、翔太くんが焼香する様子が流れる。)
今はなき大スターの子ども。
そんな現状を受け入れられず子どもたちも辛い思いをしたという。

さらに夫を失ったことで、経済的にも苦しい状況に。

しかし、美由紀はそんな状況も家族一緒に乗り切ろうと決意。つらい時には思い切り泣き、すべてを包み隠さずすべてを分かち合った。

さらに父親の役割も担わなければならない美由紀は仕事を再開。「バカヤロー4」で8年ぶりに女優復帰した。

~中略~

美由紀
「私は子どもたちと喜びもも悲しみも全部分け与えるっていうか、一緒に共に感じるのが大事だと思ってきたんですね。普通親でしたら、その悲しいところは子どもに見せないようにするとか。私は悲しい時には大声で泣くし、笑いたい時には大声で笑うし。私の人格すべてを子どもに見せて、一緒に共にやってきた感じがあって。だから悲しいとき私が泣き出すと、みんながバスタオルやそこらへんのティッシュとかを子どもたちみーんなが持ってくるんですよね。それでみーんなで泣いて。で笑う時もみーんなで笑って。っていう」

福富
「経済的にも厳しさを感じてらっしゃったんじゃないですかね」

美由紀
「そうなんですよ。本当にお金を持たないというか。すぐに使ってしまうタイプだったんで。お金もありませんでしたし。どうしようと思いまして。で、子どもたちに通帳を見せて『おかあさん、これだけしか今ないんだよ。どうしよう』って言って。みんなで考えるんですよ。子どもたちが『じゃあ、オモチャを売ればいい』とか、いろいろ知恵を出してくれるんですよ。『でもそれじゃいくらにもならないね』とか言ったり。でも、そうやっていくことでものすごく子供たちの自意識を生まれさせるいいことだと私は思ってましたから。そういう意味ではしっかりした子どもに育ったな、と思います」

~中略~

夫・母、大切な存在を失ってしまった美由紀を支えてくれたのは、ほかならぬ三人の子供たちだった。(家族四人の写真。ケーキにろうそく。龍平くんは剣玉を持っている。)

とっくみあいも辞さない息子たちとの喧嘩も、正面から向き合っていきたいという思いから。

平成10年には映画「元気の神様」に主演。
夫を失い、残された子供と懸命に生きる母親を自分の人生と重ね合わせながら熱演した。

翌年には長男龍平が映画デビュー。
オファーがきたとき、サッカー選手を目指していた龍平にこうアドバイスした。
「すべては自分で決めなさい」

~中略~

その後、次男翔太も俳優としてデビュー。
気がつけば、息子たちはすっかり逞しく成長し、今では母のよきライバルとなっている。

美由紀もますますテレビや映画で活躍。今年は初めての舞台にも挑戦(「ドレッサー」)。

このとき息子龍平はこう言ってくれたという。
「お母さん、これからは楽しんで仕事をしてくれればいいよ」

そして夫の17回忌を迎える今日、美由紀自身がプロデュースした「松田優作全集」も発売される。

福富
「今は立派に育ってらっしゃる三人のお子さんですが、一時はもう手に負えないときもあったでしょうにね」

美由紀
「もう大変でしたよ。男の子二人だし、自己主張が強いから」

福富
「お小さいときはガツンやったことあるんでしょ?」

美由紀
「もうガツンどころか。二階から駆け上がってジャンプですよ」

間平
「お父さんに似て大きい?」

美由紀
「180いくつありますから」

間平
「ふぉ、大きい。二人とも?」

美由紀
「はい。でもすごい良いんですよね。この間、私の誕生日のときに、もう子供たちがやっぱりすごい喧嘩になって。芝居のね、ことで。これからの志…。俳優としての志のことで大喧嘩ですよ。二人が。私の誕生日に」

「それで、殴り合いの喧嘩になって。でも。それで二人で握手して。『俺たちが遺志を継いでいくんだって』。こんなこと言ったら怒られちゃうな。こんな場でばらしたって怒られちゃう。でもすっごいうれしかったんですよ。『誰が継いでいくんだ。俺たちだろ』って。『親父の魂が俺たち二人の中に入ってるんだ』って言ってね。二人で握手して。もう私なんか『こんないい誕生日はホント初めてだって思って』(美由紀さん感極まって涙)本当に涙が出ちゃって」

福富
「男のお子さんがそんな言葉を言ってくれるなんて、それは親として本望ですね」

美由紀
「ホントに立派に育ってくれて。私って本当にたいしていい親じゃないんですよ。あけっぴろげだし、わがままだし。でも、あの子たちがあの子たちの意志でいい子に育ってくれたっていうのが何よりうれしいですね」

福富
「ここへくるまでは大変だったでしょうね、きっとね」

美由紀
「この前ね。龍平にね。二人で話したんですよ。手握りながら。『本当にありがとう』と。『今までやってこれたのは、あなたが長男として立派にリードしてくれたから、今までうちの家族がちゃんとやれた。本当に感謝している。どうもありがとう』って話してて。そしたら龍平がこうして背中を肩を持ってくれて。本当にありがたいですね」

福富
「お父様になってますね。男の役目が本当に分かっている息子ですね」

~このあと原田芳雄さんからのコメント~

原田
「美由紀すごい大変だったと思いますよ。あのガキどもを育てていく過程ではね。どうやって扱ったらいいかわからない。ときたま電話かかってきましたよ。『毎日あのガキどもがとんでもないことしだして、どうしたらいいんだろう』みたいな。『いや、ほっとけ』みたいな」

「今改めてね、よくここまできたなっていう。そして息子たちもね。あんな葬式でクークー寝てたヤツがね。デビューして。俺がそこにいるっていうのも、龍平も翔太もその二人と一緒にカメラの前に立ってるなんてこと、想像もできなかったよね」

~後略~

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2007年6月13日 (水)

松田龍平と宝島社

本日の話題はこれでしょう。

http://tkj.jp/cancer/

この写真の松田龍平さんの表情にうッときてしまいました。

昨日は「ラストラブ」の試写会で、あれも癌がモチーフとして使われていました。映画の出来はいまひとつだったけど。。

さっそくコンビニで某新聞を入手して帰ってきましたが、

えっ!・・・載っていない!!!!!

首都圏だけの広告だったんですかね。

まあ、無理もない話です。

一緒に買って帰ってきた「凄味<生>」を飲みながら

(相変わらず濃い発泡酒です)

涙を流しております。

龍平くんは何も言わないけど、それはいろいろなことがあったでしょう。

大島渚監督が仰ってた、「早くに父親をなくした彼には、ある種の強さと優しさがある」。

(大島監督自身が早くにお父様をなくされたらしい)

自分に重ね合わせてそのようにお話しされたようでした。

私が涙を流したもう1つの理由は、ある忘れていたことを思い出したからです。

死なんて、なんというかまぁあまり毎日考えることじゃないですよね。

だから忘れるんです。

でも、龍平くんのあの表情で一瞬思い出したかも。

癌=死 のイメージ強いですからね。

とはいえ毎日生きることに忙しいから、

たまにふと立ち止まってそんなことを考えるのもありかも。

さて、宝島社といえば松田龍平さんがデビューして間がない頃から

「この映画がすごい!」でコラムを長期連載(2年くらい)してくれたありがたい出版社です。

そのタイトルは「僕はここにいる」でした。

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2007年6月 4日 (月)

松田龍平さんのアクション

アクションシーンは滅多にないですが、ないことはないですね。

でも、大抵ぼこぼこにやられてるのが不思議。

「青い春」ではほっぺを赤く腫らしてるし、

「恋愛寫眞」なんて、見るたびに傷が増えていく誠人。

「恋の門」ですら、次第に顔に傷が増えていきます。

ちなみに、かの惣三郎ですら、けっこうやられまくりなんですよね。

沖田に負け、土方に負け、田代にはぼこぼこにやられ、真剣でも田代に負けそうに。

そうそう、あの肥後者(的場さん)には思い切り額を斬られてるのも忘れちゃいけません。

唯一、やり返してるのが「長州ファイブ」。

エミリーが襲われて、山尾が暴漢たちに木切れで反撃するシーンです。

とりあえず、アクションでかっこよい龍平さんも見てみたいですね。

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